ところで人生を歩むうえで義理は欠きたくないと思ってきたが、これまで不義理ばかりしてきた。
義理を果たし、礼を尽くすということには行動が伴わなければならない。他者との関係においては「伝わる」という要素が欠かせないだろう。
気持ちだけではなく、それを形にしてあらわさなければいけない。
だがこれまでうまく相手に伝えることができずに何度も失敗してきたし、悔しい思いもしてきた。
三島由紀夫が解説した「葉隠」を若いころになんども読み重ねた時期があった。現代にも通じ、とても参考になるたいへんありがたい教えがふんだんに詰まっている。
しかし凡人がそのまま実践するとしくじってしまうこともおおいと感じる。
やはり当然なこととして情報を取得しインプットする際にはリテラシーが大切なのだろう。
現代においては他者からどのようにみられているのかを、少しばかりは気にしなければならない。
そうでないと市井の人たちの間では通用しない。ましてや組織に組み込まれた人間関係においては。
とくに思うのは「いいわけ」と「説明」を混同しないこと。
いいわけを嫌い極力避ける傾向にあったが、やはり適切な説明なくして相手には正しく伝わらない。
そして不用と判断した説明も適度に加えてもいいのだ。いやむしろ加えるべきだと考えるようになった。
「無頼」を気取って独りよがりになってしまっては一般社会ではやっていけない。
伊集院静のようにカッコよく生きられればいいのだけれど・・・。
けだし「無頼」と「独りよがり」を同列に捉えるつもりは毛頭ないが・・・。
都合がいいかもしれないが、しかし人は何歳からでも成長できると信じている。そしてすこし大げさだが徳を積むことができると思っている。
かといって、夏休みの宿題よろしく後回しにしてはいられない。
人生はいつ終わってしまうかはわからない。
突然終わりを迎えた人々を仕事を通じてたくさん見てきた。