自宅からほど近い住宅地のはずれに公園があり、その敷地の約半分を占め東側に位置する池では枯れた睡蓮と花菖蒲の葉の隙間を鯉たちが行き来している。
テニスコート3面分くらいの広さのその池には小島があって、そこへ行くには長さ4メートルほどの狭い橋を渡らなければならない。小島には4~5人が横に並んで腰かけることのできる木製の長椅子が向かい合った小さな方形屋根の東屋があり、それと同じくらいの余白の地面がある。小島の周囲と池の周囲は黒い金網のフェンスで囲まれている。
いやもおうもなく毎朝繰り返されるおバカな愛犬との散歩コースになっているこの池のほとりで、今日もコヤツの排泄物を拾ってお散歩バッグに放り入れる。
ウソのようなホントのはなしだがおバカな愛犬はよそ見をしていて電柱にぶつかったりする。
7年前に県動物愛護指導センターで出会った。野犬であったため捕獲だか保護だかはわからないけれど、捕まったときには生後4~5か月くらいだったようだ。白をベースに少し茶毛の混じった中毛種で、それはかわいい子犬だったのだが、まさかこんなに大きな中型犬(小さな大型犬?)になるとは思いもよらなかった。
カワイクナイワケデハナイノダケレド・・・。
12月に入ったばかりで厳しい寒さの到来はまだ先だが、それでも朝の5時半はさすがに寒い。池の水面にもいくぶんか薄く氷が張っている。
ここのところ気になっていた、東屋の長椅子に横たわるのは成人の男性だろうか。寒空の下、厚手のジャンパーに作業ズボンで足元はスニーカー。毎日同じ服装で、あまりきれいな格好とはいえない。いつも北側の長椅子に頭を西にしてあおむけでいる。
動いているところを見たことはないが死体ではなさそうだ。というのも夕方にも執行されるコヤツとの散歩の時分この東屋では、若い男女がイチャついている、という表現では手ぬるい行為をしていたり、小学生がシャボン玉を飛ばしたりまた、宙に漂うそいつを棒っ切れでひっぱたいたりしているのだが、この男の姿はそこにはない。だが早朝にはこうしてあおむけで横たわっているのだ。
「おいおい、よしておけ」というような心の声は微塵もなく、風呂上がりにキンキンに冷えた缶ビールのプルタブを起こすようにごく自然に43歳のミヤシタソウタロウ(仮名)に声をかけた。こちらが8歳も年上だったのでそれから2年の付き合いの中で“タメ口”で話すようになった。
ソウタロウは少し口を尖らせながら喋るのだがいつもニコニコしている。愛嬌のあるその笑顔からは、彼がこれまでの人生で多くの時間を幸せに過ごしてきたのではないかと想像できる。小学5年生まで暮らした大船渡市での祖父母と両親、姉との生活もきっとそうだったのだろう。
入母屋で瓦屋根の立派な日本家屋に生まれ育った。子どものころに覚えた自宅の住所や電話番号などは不思議なことにいくつになっても忘れることはない。Googleストリートビューで確認することができる今は知らぬ人が住むその家は、高台に位置していたため東日本大震災の際の津波被害を免れた。また今年の大規模な山林火災でも被災することはなかった。
ワケあって父親と二人で北関東のこの町に来て30数年、いまでは故郷の家族の所在はおろか父親が存命なのかもわからないようだ。
ホームレスになっておおよそ3年、日中は方々を歩きまわり、ときどき日雇いの仕事で身体を使うためか、案外健康的にみえた。とくに痩せているわけでもなく中肉中背のその姿を見ると、自由気ままに過ごしているように感じられた。
差入れた寝袋が快適であることを言葉少なに、しかし嬉しそうにあの笑顔で話す。それでも冬の寒さはつらいというので、行政の支援や社会福祉協議会の存在などを伝えたが、今の生活から本気で抜け出そうという気持ちはないようだった。
アイツは自然人で生存権なんて概念は不要なのだなきっと。自分の常識に当てはめて余計な世話を焼くことはないのだとおもった。