さっさとかたちにしなければならないこと 3/3

他者に頼らず甘えない

組織に頼らず甘えない

そしてその者たちを応援する気持ちを持って接し、対応し、対処する

 

 最近になってこのような心持でいようと考えはじめた。これを何事にも優先して常に頭の中に置く。これは自分にとって非常に重要なことであることに気が付いた。

 頼らず甘えないことでたいていのことは受け入れらるようになる。

 

 自分自身で自然とこのような考えに至ったつもりでいたが、いいや ちがう。このようなことを伊集院静さんが著書の中でおっしゃっていた。 

 

 年齢を重ねるごとに心が荒んでいく人もあるが、年をとるほどに「謙虚」でありたいともおもっている。

 「謙虚」というのは、自分はなににも属さないという考え方を持ちそういうスタンスでいる。よってそれらを批評する資格は当然ないと自覚することかもしれない。

 自分は何者でもないのだ。

 思い返せば、若いころの自分は何様だったのだろうとおもうことが多々あり恥ずかしくなる。

 

 「明日死ぬつもりで今日を生きよ」といったことをたまに耳にするが、額面通りに受け取るとなんだか忙しない人生になってしまいそうだ。

 まあ、そういう心持でいることが大切だと説いて、本当に大切なことや、本当にやらなければならないことを見極めて行えということなのだとおもう。

 

 しかしそれでもそんなにあくせく生きなくてもいいんじゃないか。

 重要なことであっても少しづつ片付けていき、ときには後回しにするこころの余裕がほしい。「まあいっか」と。

 

 おおきく脱線したがはなしをはじめにもどすと、それでもさすがに30年も前のお礼はさっさとかたちにしたほうがいいとの結論に至る

さっさとかたちにしなければならないこと 2/3

 ところで人生を歩むうえで義理は欠きたくないと思ってきたが、これまで不義理ばかりしてきた。

 義理を果たし、礼を尽くすということには行動が伴わなければならない。他者との関係においては「伝わる」という要素が欠かせないだろう。

 気持ちだけではなく、それを形にしてあらわさなければいけない。

 だがこれまでうまく相手に伝えることができずに何度も失敗してきたし、悔しい思いもしてきた。

 

 三島由紀夫が解説した「葉隠」を若いころになんども読み重ねた時期があった。現代にも通じ、とても参考になるたいへんありがたい教えがふんだんに詰まっている。

 しかし凡人がそのまま実践するとしくじってしまうこともおおいと感じる。

 やはり当然なこととして情報を取得しインプットする際にはリテラシーが大切なのだろう。

 現代においては他者からどのようにみられているのかを、少しばかりは気にしなければならない。

 そうでないと市井の人たちの間では通用しない。ましてや組織に組み込まれた人間関係においては。

 

 

 とくに思うのは「いいわけ」と「説明」を混同しないこと。

 いいわけを嫌い極力避ける傾向にあったが、やはり適切な説明なくして相手には正しく伝わらない。

 そして不用と判断した説明も適度に加えてもいいのだ。いやむしろ加えるべきだと考えるようになった。

 

 

 

 「無頼」を気取って独りよがりになってしまっては一般社会ではやっていけない。

 伊集院静のようにカッコよく生きられればいいのだけれど・・・。

 

 けだし「無頼」と「独りよがり」を同列に捉えるつもりは毛頭ないが・・・。

 

 都合がいいかもしれないが、しかし人は何歳からでも成長できると信じている。そしてすこし大げさだが徳を積むことができると思っている。

 かといって、夏休みの宿題よろしく後回しにしてはいられない。

 

 人生はいつ終わってしまうかはわからない。

 突然終わりを迎えた人々を仕事を通じてたくさん見てきた。

 

 

 

さっさとかたちにしなければならないこと 1/3

 岩下さんは5歳年上の58歳。この職業に就いたときに仕事のいろはを教えていただいた。

 30年前になるだろうか、ちょうどこのころプロボクサーのライセンスを取得した。「だれでもとれる」といわれたことがあるがたしかにそうかもしれない。しかしそれなりに努力はしなければならない。

 プロテストは後楽園ホールのリングでスパーリングを行う。対戦相手もいることである。やはり容易いことではない。階級ごとに対戦するため減量もあり、夜勤の合間にもトレーニングをサボってはいられなかった。

 

 そんななか、プライベートなことであるにもかかわらず、岩下さんは仕事中にさりげなくさまざまなかたちで助けてくれた。ほんとうにありがたかった。30年たったいまも感謝の気持ちを忘れてはいない。

 しかしそんな気持ちをまだ伝えられていない。彼が定年退職するまでにどのように伝えようか考えている。

 二十歳でこの仕事に就いたころは(今も?)世の中をなめていた。社会人としての最低限の常識も彼から教わったことが多い。

いきて、いく 4/4

 ランニングの道すがら(健康を気遣っているわけではないです・・)七つ葉のクローバーを見つけたので持ち帰って講談社の昆虫図鑑で押し花にした。

 出会う確率は2億5千万分の1、

 花言葉は「無限の幸福」らしい。

 今月は2度も鳥の糞の直撃を体に受けた。

 すると、なにかいいことが起こる前ぶれだとだれかがいった。

 

 戦後80年という節目の年ということで太平洋戦争の惨劇を伝えるテレビ番組を近頃たびたび目にする。

 

 金曜日の夕暮れコヤツのリードとお散歩バッグを公園の桜の木の近くのフェンスにちょいと括り付け、隣接するドラッグストアで晩酌用の缶ビールを買う。週末なのでいつもより1本多めに買った。

 桜の木の下に戻ると、またか。よく出ますな。健康的でよろしい。お散歩バッグがまた重くなる。

しっぽを振って嬉しそうですな。幸せな犬生でしょうか。

 

 地球がある天の川銀河の直径は約10万光年だそうで、そんな銀河がこの宇宙には2兆個もあることがわかってきたらしい。

 研究者のみなさん ホントウデスカ?

 宇宙誕生から今日までを大谷翔平の特大ホームランの飛距離の年表にすると、戦後80年は0.0008mmになるようだ。

 人の一生などあっという間もない、のかな?

 さあそんなことより、早く帰ってコヤツにおやつをあげたら、風呂に入ってプルタブを起こそう。

いきて、いく 3/4

 20年前に建てた二階建ての小さな我が家のお隣にまもなく90歳になるおばあさんが住んでいる。ここに越してきたときから大きな戸建てに独りだ。広い庭も自身できれいに手入れしている。

 運転免許がないため日常の買い物へは歩いて行く。

 「タクシー?あたしゃぁそんなものには絶対に乗らない!」となぜだか息巻く。

 近くのスーパーまでは1㎞ほどだろうか。道中何度も立ち止まっては曲がった腰に手を当て小休止をとっている。見かけたときは自家用車で送迎をするようにしている。

 あるときシニアカーを勧めてみようとパンフレットを手渡したが中身を見もせずに突っ返された。「そんな年寄りじみたこと、カッコ悪くてしたくない」そうである。

 いらぬ気概だとおもったこともあったが、はたしてそうだろうか。

 自動運転機能付きのSUVに乗っているのがなんだか情けない。

     

 

いきて、いく 2/ 4



 コロナ禍でソロキャンプを始めてからはキャンプ道具を買いあさっては失敗を繰り返した。がまた繰り返すのだった。そしてレザークラフトも同時に始めそれらの道具をワンランク上へと昇華させ、たいへん満足するのだった。

 キャンプでは焚火がなによりの楽しみである。そのため寒い時期にしか行かず、暖かい時期には海岸からヒラメを釣る(釣れることもある)。釣った魚は自分で捌き晩酌のアテにした。

 健康を気遣っているわけではないが月に何度か趣味のボクシングで汗を流す。登山やトレイルランにも挑戦している。健康を気遣っているわけではないのですが・。

 インパクトドライバなどの電動工具が好きでくだらないものをよく作る。一昨年は小鳥の巣箱を自作し自宅の軒下に設置したところシジュウカラが営巣してくれた。が、その翌年はスズメに入られてしまった。指南書の設計よりも入口の穴を少し大きくしてしまったのが失敗だった。入口が大きいとスズメが入ってしまうと書いてあったのにだ!

 本は基本的に買って読む。読みたい本が多いのでAmazonで安価な中古本を購入するようにしている。本体価格は1円でも残念なことに送料が350円だったりする。なのでBOOKOFFなどの実店舗で買ったほうがお得かなと思うがまたAmazonで買ってしまうのだった。

 

電柱にぶつかってしまう犬は飼い主に似たのか?

いきて、いく 1/4

 自宅からほど近い住宅地のはずれに公園があり、その敷地の約半分を占め東側に位置する池では枯れた睡蓮と花菖蒲の葉の隙間を鯉たちが行き来している。

 テニスコート3面分くらいの広さのその池には小島があって、そこへ行くには長さ4メートルほどの狭い橋を渡らなければならない。小島には4~5人が横に並んで腰かけることのできる木製の長椅子が向かい合った小さな方形屋根の東屋があり、それと同じくらいの余白の地面がある。小島の周囲と池の周囲は黒い金網のフェンスで囲まれている。

 いやもおうもなく毎朝繰り返されるおバカな愛犬との散歩コースになっているこの池のほとりで、今日もコヤツの排泄物を拾ってお散歩バッグに放り入れる。

 ウソのようなホントのはなしだがおバカな愛犬はよそ見をしていて電柱にぶつかったりする。

 7年前に県動物愛護指導センターで出会った。野犬であったため捕獲だか保護だかはわからないけれど、捕まったときには生後4~5か月くらいだったようだ。白をベースに少し茶毛の混じった中毛種で、それはかわいい子犬だったのだが、まさかこんなに大きな中型犬(小さな大型犬?)になるとは思いもよらなかった。

カワイクナイワケデハナイノダケレド・・・。

 

 12月に入ったばかりで厳しい寒さの到来はまだ先だが、それでも朝の5時半はさすがに寒い。池の水面にもいくぶんか薄く氷が張っている。

 ここのところ気になっていた、東屋の長椅子に横たわるのは成人の男性だろうか。寒空の下、厚手のジャンパーに作業ズボンで足元はスニーカー。毎日同じ服装で、あまりきれいな格好とはいえない。いつも北側の長椅子に頭を西にしてあおむけでいる。

 動いているところを見たことはないが死体ではなさそうだ。というのも夕方にも執行されるコヤツとの散歩の時分この東屋では、若い男女がイチャついている、という表現では手ぬるい行為をしていたり、小学生がシャボン玉を飛ばしたりまた、宙に漂うそいつを棒っ切れでひっぱたいたりしているのだが、この男の姿はそこにはない。だが早朝にはこうしてあおむけで横たわっているのだ。

 「おいおい、よしておけ」というような心の声は微塵もなく、風呂上がりにキンキンに冷えた缶ビールのプルタブを起こすようにごく自然に43歳のミヤシタソウタロウ(仮名)に声をかけた。こちらが8歳も年上だったのでそれから2年の付き合いの中で“タメ口”で話すようになった。

 ソウタロウは少し口を尖らせながら喋るのだがいつもニコニコしている。愛嬌のあるその笑顔からは、彼がこれまでの人生で多くの時間を幸せに過ごしてきたのではないかと想像できる。小学5年生まで暮らした大船渡市での祖父母と両親、姉との生活もきっとそうだったのだろう。

 入母屋で瓦屋根の立派な日本家屋に生まれ育った。子どものころに覚えた自宅の住所や電話番号などは不思議なことにいくつになっても忘れることはない。Googleストリートビューで確認することができる今は知らぬ人が住むその家は、高台に位置していたため東日本大震災の際の津波被害を免れた。また今年の大規模な山林火災でも被災することはなかった。

 ワケあって父親と二人で北関東のこの町に来て30数年、いまでは故郷の家族の所在はおろか父親が存命なのかもわからないようだ。

 ホームレスになっておおよそ3年、日中は方々を歩きまわり、ときどき日雇いの仕事で身体を使うためか、案外健康的にみえた。とくに痩せているわけでもなく中肉中背のその姿を見ると、自由気ままに過ごしているように感じられた。

 差入れた寝袋が快適であることを言葉少なに、しかし嬉しそうにあの笑顔で話す。それでも冬の寒さはつらいというので、行政の支援や社会福祉協議会の存在などを伝えたが、今の生活から本気で抜け出そうという気持ちはないようだった。

 アイツは自然人で生存権なんて概念は不要なのだなきっと。自分の常識に当てはめて余計な世話を焼くことはないのだとおもった。